猟奇殺人鬼と云えば、漫画等でよく登場しますが、
彼等が美しく描かれていると、それは何だか違うんじゃあないか、と思います。
彼等は度々、美しく、恰好よく、人間離れしていて、時には同情的に描かれます。
何でしたら、犯罪を犯していないキャラクターよりも、
一段高いステージに立った存在として扱われる事もあります。
そうではなく、もっと愚かで矮小な存在として描かれるべきだと思うのです。
何、人を殺しておいて、「勝った」みたいな顔をしているの、と云う事です。
決して憧れる存在であってはならないと云う持論があります。
彼等は僕達と同じ人間で、かつ、殺人を犯すと云う僕達以下の存在です。
確かに、
色々な殺人鬼の発言や逸話を見掛ける事があり、それを読む分には、
「何て異常で、自分達とはかけ離れた特異な存在なんだろう」と思いがちです。
これはよくない事だけれど、
畏怖に近い感情も抱きかねません。
ウィキペディアの酒鬼薔薇聖斗の項目によると、
被害者の首を洗いながら射精したと云う記述があります。
……やはり、ちょっと、普通じゃあないなあ、と思いますよね。
しかしどうでしょう、一方で、
彼等のその逸話のほとんどが、自己顕示を目的としているようにも思えるのです。
「どうだ、俺は特別な存在だろう」と云われている気がして、
何だか「そうだね」と認めるのが癪です。
酒鬼薔薇聖斗の記述に関しても、誤りでしょう。僕はそう信じています。
彼の事件は、セックス殺人とはまた異なる気がするからです。
このような姿を見るにつけ、決して「理想の猟奇殺人鬼」とは云い難いでしょう。
また、創作の観点から云えば、犯罪を犯罪として描かなければ、
キャラクターに犯罪を犯させる意味がなくなると、そう思うんです!
作品の倫理観を下げてしまうと、命の重み、みたいなものがなくなってしまいます。
殺人も午後のティータイムも大して変わらない、と云うのはいけません。
キャラクターが紅茶を飲んでいても、
ああ、紅茶を飲んでいるな、としか思いませんもの。
そうでなくとも、
猟奇殺人鬼を魅力的なキャラクターとして登場させる事は充分に可能だと思います。
ピースやT-バック、レクター博士、吉良吉影に夜神月等は、最高に愚かなのに魅力的です!
僕はそう云うキャラクターが好きなんです!
この日記で初めて、創作に対する考えを書きましたが、
果たしてこれは創作に対する考えなのかは疑問です。
これはきっと、猟奇殺人鬼に対する考えですね。
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