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2月26日

バットマンがとても好きで、
楽しみにしすぎて逆に見るのが億劫になっていた
映画「JOKER」をついに見ました。
今まで「JOKER」を見ずになにを見ていたのかというと、
「Not Found」とか「本当にあった投稿闇映像」とか「封印映像」を見ていました。
「心霊曼陀羅」なんかはとくに、これはひどい! と思いながら見ているくせ、
それでもずっと見続けてしまっているのですから、
すっかりその魅力にやられてしまっていますね。
面白いです。

「JOKER」の話ですが、これもまたとても面白かったです。
以下、ネタバレを含みますので、まだ見ていないかたはご注意くださいませ。






評価が高いことは知っていました。
このまえのアカデミー賞でも主演男優賞をとっていましたね。
同時に視聴後には
気分が落ち込んでしまうとも散々云われていましたから覚悟をしていましたが、
少なくとも自分は落ち込むことはありませんでした。
それどころか心が盛り上がり、
興奮のあまりしばらく眠れなかったほどです。

この映画を見て落ち込んだひとは、
「真面目で愚直なひとりの男が、社会や周囲の環境のせいで理不尽につらいめにあい、
 ついには狂気に堕ちてしまう悲劇の物語」
として見たのだと思います。
アーサーの人生を追っていくと先にジョーカーがいた、という見方です。
じっさい、現実の社会も少なからずゴッサムと同様の問題を抱えており、
アーサーと同じとはいかないまでも
似たような苦しみ・怒りをもって生活しているひとは多いのではないでしょうか。
少なくとも「自分が強者側にいる」と感じて
生活できているひとはあまりいない気がします。
そのためアーサーは感情移入・自己投影しやすく、
彼が狂気に堕ちていくさまは見ていてつらかったでしょう。
インターネット上でよく見る感想に、
「自分もジョーカーになりえる・他人事ではない」というものがありました。

一方、僕のように落ち込まなかったひとは、
この映画を「ジョーカーというヴィランの誕生譚」として見たのかなと思います。
ジョーカーの人生を遡っていくと先にアーサーがいた、という見方です。
この場合、
「アーサーがどうやってジョーカーというヴィランになっていったのか」
その一点のみがこの映画の軸であり、関心事であり、アーサーは完全に他人事です。
アーサーが狂気に堕ちる段階を踏むたび、気分が落ち込むどころか、
「おお、おお、ジョーカーに近づいていってる!」と興奮しました。

また、現実社会とゴッサムを重ねる見方もしませんでした。
僕にとってゴッサムはあくまで架空の都市であり、
バットマンが活躍する舞台としてクリエイターが作り出した街、
いいかえればバットマンが活躍するために
ありとあらゆる社会問題・犯罪者をぶちこんだ治安最悪の街、
といった印象が強いからです。
余談ですが、僕は日常生活で「ゴッサムかよ」とよく云います。
例えば街で殴り合いや怒鳴り合いの喧嘩を見かけたとき、
例えばコンビニの前で不良の子供たちがたまっているところを見かけたとき、
例えば何台ものパトカーのサイレンを聞いたときなどにです。
「ゴッサムほど治安が悪いのかよ」という意味で使います。
作中、貧困層が暴徒化してゆく過程が少し急かなとも思えたのですが、
舞台がゴッサムならさもありなん、と納得しました。
それほどの認識でいますから現実の社会と重ねず、
むしろ架空のゴッサム・シティが映像化されていることに興奮したりしたのです。
映像化自体は珍しいことではないのですが、そのたびに興奮していますね。


僕はさらに、この映画はジョーカーの誕生譚でありながら、
バットマンの誕生譚でもあるんじゃないかと思えるところに強く惹かれました。
これ以降の考えはほとんどファンの深読み・妄想ですが、
なんといっても「犯罪通り」でブルースの両親が射殺されるシーン、
原作の多くでは犯人はただのチンピラであるジョー・チルで、
ブルースが
「両親を殺したのはジョー・チル個人ではなく、
 ゴッサムの治安の悪さ・犯罪そのものだ」と考え、
バットマンとして自警活動を始めるきっかけとなる重要なシーンです。
この映画では全編にわたって
「ゴッサムの治安の悪さ・犯罪」をいやというほど描いたうえ、
その末に誕生したジョーカーが暴動を誘発、
結果的に「犯罪通り」での悲劇に繋がるわけですから、
もうこれは「バットマン・ビギンズ」といってもよいのではないでしょうか。
ただ、「JOKER」のことを「バットマン・ビギンズ」というと、
よくわからないことになるので
「JOKER」のことはこれからも「JOKER」ということにします。
よく「バットマンがジョーカーを作り出した」と云われますが
(コミック「キリング・ジョーク」しかり「ゼロイヤー」しかり)、
「ジョーカーがバットマンを作り出した」という解釈は面白いですね。

バットマンとの繋がりでいうと、
マレー・フランクリン・ショーでのジョーカーの演説の一部、
「善と悪は個人の主観でしかない」という主張は
バットマンにおける重要なテーマですし、
ラストで収容されたジョーカーが
「ジョークを思いついたがあんたには理解できない」と精神科医に云うシーン、
そのジョークを理解できるもの(バットマン)が将来現れる暗喩的な、
含みのあるシーンだったのかな~と想像してはわくわくしています。


映画は見たひとの数だけの解釈・正解があって素敵です。
ネットの感想のなかには
社会問題に深く切り込んでいる政治的主張の強い作品だと考えるひとや、
あるシーンを境に本当はアーサーは死亡していて、
以降のシーンはすべて死んだアーサーの夢なのでは(「バードマン」的な?)と
考えるひとまでいて、
感想を見るだけでも楽しいですね。
過去にジョーカーを演じたジャック・ニコルソンやヒース・レジャー、
ジャレット・レトと比較して、
誰かを持ち上げるために貶めるような感想でなければ、どの感想も素敵だと思います。
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